坂の上の魔法使い|明治カナ子 【全3巻】
魔法使いの多く住むゲルの町の、そのまた外れの荒れ山に暮らす魔法使いリー様と弟子ラベル君のお話。
全3巻を通してみっしり描かれていくファンタジーがほんと堪らんのだよ。
ファンタジーと!! あと主従な!!!! 主従な!!!!!!!
かつて魔法で栄えた王国があり、50年前に滅んだ歴史を持つ街を舞台に、
なぜ王国は滅んだのか、ラベル君は何者なのか、とか何とか謎解き要素は
実はそう重要でもなく、
ゲルの町で暮らすリー様とラベル君の姿と、
50年前の王国で過ごすリー様と王様と入れ替わりながら物語は進みます。
もう最高かの言葉しか出ないほど語りたい。
どこから何を語れば良いんだろうと思うほど語りたいことが多すぎておろおろする。
ネタバレ配慮なんてしてないよ。
どこが好きかどう好きかをひたすらねちねちと語るだけだよ。
坂の上の魔法使いはいいぞ。
まずもう序盤から繰り広げられるこの伏線な。ちょいちょい現れる王様な。
まさか序盤のセリフが一番の山場のセリフ引用だったとは誰が思おうか。
読み進めて、まさかものすごい重要なシーンだったことを知った時の衝撃と言ったら。
もっと匂わす程度だと思ってたよ!違ったよ!!!
■何度も殺される魔法使い
世界観として魔法も魔法使いも当然のようにあります。
人よりも長寿で霞を食べ、さらに己の命の危機に”脱皮”してさらなる力を得る、というのがこの世界の魔法使い。
”脱皮”して力を得る魔法使いもいれば、出来なくて死んでいく魔法使いもいる。
では力を得た魔法使いは好きにできるかと言えばそうでもなく、代々王家に伝わる目の契約からは逃れられない。
この魔法使いたちを取り巻く力関係、力を得るために徐々に家畜化されていくような姿。
歪みはあれど、それがもう国の仕組みとして出来上がってしまっている様子にゾクゾクします。
魔法があっても自由はない。魔法がなければ国は成り立たない。
繁栄した国が傾く前兆があちらこちらに見え隠れしてるのに、それを憂いているのは新王カヌロスだけ。
カヌロスが目指したのは、魔法使いが死なずとも良い国だった。
それは王家の命令によって人を殺し、王家のために殺されていく魔法使いたち・ひいてはリー様のためでもある。
■繰り返される大事なこと
「大事なことは3回繰り返せ」
という脚本手法を見たことがあるのだけど
(そして改めて見てみると心を刺しに来るシナリオには確かにその要素があって感動した)
坂の上の魔法使いにもそれは綺麗に踏襲されていて、
そして後半に向けて抜けていたパズルピースが嵌っていくように収束していくそのストーリー展開に釘付けでした。
その中でも印象深かったことについてさらにつらつらと。
一つ目の「大事なこと」は、子どもが健やかに生きること。
二つ目の「大事なこと」は、繰り返し現れるリー本来の姿。
三つ目の「大事なこと」は、王家の目による命令。
・一つ目の大事なこと 子どもが健やかに生きること。
一回目はリー様からラベルへ、二回目は王様の母君から王様へ、三回目は王様からラベルへ。
健やかにあれという願いは、「次へ続いていくこと」の象徴として物語の根底にあり、最後に向かって集約されていきます。
そしてこの「次へ続いていくこと」は三つ目の大事なことにも繋がっている。
続くことで王国が果たせなかった未来をラベルが担っていく姿も好きだし、
そのラベルは王国の悲劇が無ければ生まれなかったという事実も堪らない。
・二つ目の大事なこと 繰り返し現れるリー本来の姿。
繰り返し現れるのはリー様本来の姿。
姿自体はリー様の使役として何度も作中に出てきていますが、
特筆したいのは、「ラベルが見たリー様本来の姿」という点。これをカウントしています。
いずれも現れるタイミングで役割が異なっているのがとても面白くって。
はじめに現れる本来の姿のリー様はラベルの看病時。
薬を持ち優しく看病をする姿。養親としてのリー様です。
ただ、ラベルはその姿がリー様であることは知らず、初恋をする。
そういえば何でこの時のリー様が見えたんだろうなあ。結構な魔力がないと見えないみたいなのに。
二度目に現れたのは、リー様の本来の姿をかたどった使役。
こちらは明らかなる敵対者として現れます。
そしてラベルは使役をかけようとして一度失敗しています。
これもまた三度目にすべて集約する素晴らしい布石だった。
三度目に現れたのは本来の姿ままのリー様。
脱皮したての、養親ではないラベルの知らないリー様です。
そして王家の目で縛られたままのリー様でもある。
三回を通して、ラベルの前にリー様は現れます。
庇護者として、敵対者として、最後にはラベルが救う者として。
この関係性の!!変移が!!
・三つ目の大事なこと 王家の目による命令。
本当に素晴らしい山場で見事な持ってき方をしていてんもー!んもー!
頭悪い叫びしか出ないわんもー!!!!!
愛や恋を封じて従えという一つ目の命令
逃げろというふたつ目の命令
そして本来の自分にもどれという3つ目の開放の命令。
囚われ、弾かれ、最後に戻ってくる様子が素晴らしすぎませんか。
そしてそれらがどれ一つ欠けたとしても今には繋がっていなかったこと、
どれもが辛いことではあっても、すべて必要であったことがもう素晴らしすぎませんか。
愛や恋を封じなければラベルは生まれなかった。
王が死んだことで、ラベルはリーの元で育てられるようになった。
そしてリーの元で育ったラベルだからこそ、リーも王も開放されて、物語は次の世代へ動き出すのです。
この、この素晴らしい布石。素晴らしき必然。
いずれも正しいことであったのだと、ここに行き着き、王とリーは対等となり未来へ続けられる希望となるのが
余りにも素晴らしすぎて。
・散りばめられた「大事なこと」
他にも作中にはいくつも大事なことが散りばめられてます。
何度も繰り返すことで、その意味の重さや大切さが染み込んでくる。
単なる舞台装置や設定ではなくなる。
例えば使役に名を付けること。
序盤でラベルが簡単に説明してくれることから「使役に名を与えてはいけないのだ」ということを知ります。
でもこの時点ではまだ知識でしかなく、設定でしかない。
次に魔法使いの使役たちに名を与えるシーンがあること。
彼女たちの驚きや、自分の名を震えながら復唱する姿から
「名を与えることは非常に重要な事柄なのだ」ということを知ることが出来る。
そしてそれは使役たちに喜びを与えていることも分かる。
最後は、リー様がリリドに名を与えたこと。
王国のおしまい、リー様は二度目の命令をうけて追い出されてしまった。
しかしどうにかして王様を救い出すにはどうしたら良いのか、というシーンでの名付けです。
何度か使役の名付けを見ていたから、これがどれだけの最終手段であるのかも分かる。
そしてまあ、リリドの麗しく強いこと。無言で兵士の首を落としていく様の美しいこと。
結果として王の生還には間に合わず、ここでリー様とリリドは決定的に違う道を歩むことになり、
それはまた素晴らしい布石となって最終決戦へと繋がるわけです。
そしてまた例えば、魔法使いは何度も死ぬこと。正しくは何度も殺されること。
脱皮をして魔力を得る、という話はこちらも序盤に語られ、次にリー様から王国の成り立ち授業の際にも語られます。
そしてそのまま死んだ魔法使いのことも、死ぬのが怖いとリー様のもとへ駆け込んでくる魔法使いの少女も描写されます。
そういう仕組みであれ、魔法使いは自ら望んで受け入れるばかりではないのだと。
この魔法使いの仕組みについても、作中では何度も描かれています。
王家の目の絶対的な命令には逆らう事が出来ないこと、故に王位継承を促すためだけに殺される魔法使いがいること、殺された数は即ち魔力の強さとなり当然のように回数が階級のように扱われること、他国に外交道具として家畜のように譲られること。
魔法使いにとっては、自分の命も他人の命も重きは置かれない。
坂の上の魔法使いの、この魔法使いと魔法の在り方も大好き。
理屈や理由ではなくただそこにあるモノとして描かれる魔法と魔法使いたち。
その残酷な立ち位置を受け入れている者も受け入れていない者もいる。
それでも、迫害されていた魔法使いたちがやっと作り出した安住の国であったという多面性ほんと好き。
■越えたかった壁
魔法使い側の話ばかりになったけど、坂の上の魔法使いには主従も強いエッセンスとしてあります。
度々あらわれる「王家の目」は魔法使いを縛る強烈な契約です。
その絶対性も物語の中で丁寧に繰り返され、
本人の希望や気持ち・魔力云々でどうにか出来るものではないのだということも読み進めるうちに理解が出来る。
だからこそ、リー様がどう足掻いたとしても王の好意に応えることは出来なかった。
リー様は国のための魔法使いであり、その姿も名前もかつて存在した大魔法使いリーを模したもの。
本来の姿は使役に留めているものの、3度目の脱皮を越えれば己の姿も名も忘れてしまうのだと、作中でリー様は語ります。
必要なのは大魔法使いリーであり、今リーと名乗っている魔法使いでなくても良い。
その中で、王はリー様を友人と呼び、それ以上を望み、王と魔法使いの壁を超えたいと願い、けれどそれは叶わず。
王は何度もリー様と対等な関係であることを望み、そしてそれはまた三度かけて丁寧に描かれています。
一度目は、命令によって王の元を離れようとしたリー様へ向けて。
王家の目は王族が持つもので、王様だけのものではありません。
カヌロス王の時代に王家の目を持つ者は4人いました。
そのうちの一人がかけた王家の目の命令は、王家の目でもって上書きが出来る。
友人であるから、または信頼関係のもとに、
逆らえない命令でもって相手を縛るやり方ではいけないのだと頭で分かっていても
その目を使えばリーは離れない。
けれど一度でも使えば、リーとの関係は契約によるものでしかなくなってしまう。
葛藤の末、王様は目を使わなかった。
結局離れてしまうリー様に、王様は一度きりの逢瀬を願います。
主従を越えられたら。これが二度目の王様の望み。
けれど先代の王からかけられた王家の目の契約のもと、リー様は応えることが出来ず、
ひどく残酷な答えを出してしまう。
応えることが出来なかっただけでなく、よりによってその答えを出したことからも
リー様は王様のことが好きだったんだろうと想像がつくのが切ない。
そして三度目。
リー様は王様の魂との迎合を果たし、そして決別も果たします。
王家の目による離別ではなく、リー様と王様、それぞれの意思による決別です。
すでに肉体をなくした王様の魂を安らかな場所へ送ることがリー様の愛ならば、
リー様がリー様の意思でもって自分の行き先を決めることを見届けるのが王様の愛。
生きていくのだと、そして命令によるものではなく自分よりも慈しむものが出来たのだと、
王様の居た証も王国のあった証も繋いで生きていくことを自分で選び取れたリー様の
何と慈しみに満ち、「ヒト」らしくあったことか。
寄り添うことではなく、個々が個々の行き先を決めていけた事。
「ここにきてついに、主従を越え …対等になれたな」
別れる前の王のセリフが、あんまりにも成熟した関係過ぎてもうホント大好き。
追従するだけの関係ではなく、互いしか見えないような幼さを越え
(この二人に関してはもっと幼くて良いと思ったけどさ。昔話中も反応がふたりともいちいち”お抱え魔法使い”と”王”の模範のようで切ない)
互いの行くべき場所へ託しながら進めたこのシーン。
■繰り返す再生の物語
これは再生の物語なんだろうと色々書き連ねながら思うわけです。
リー様は何度も殺されて魔力を得ながら生きてきて、ラベルを育て、
自分は何のために生きてきたのか何のために生きるのか、はじめて向かい合った死への恐怖からもう一度生まれ直す。
その生まれ直しには長らく枷であった王家の目が必要であったこと、
その王家の目も長い枷がなければ生まれ得なかったこと。
正解という言い方は正しくないだろうけど、
リー様が無くしてきたものや無くしたくなかったものも、全て意味を持って繋がってきていたのだと思えるエンディング。
そしてリー様だけではなく、リー様が死んだ時にラベルもまた生まれ直してた。
魔法使いが死ぬことを知り、自分も死ぬことを知る。
生まれ直したラベルが目指したヒトと魔法使いが共存する世界は、かつて王が目指していた世界。
新たに生まれたラベルによって、
王国が出来なかったことへ向けて町が再生に向かうのだろうというエピソードで物語は終わります。
坂の上の魔法使いで何が好きって、この未来へ続いていくところ。
作中は過去の話と過去から今に至るまで続いていることがメインとして語られながら、
物語を通してそれらがひとつひとつ瓦解し、流れて、ごろりと未来へシフトしていく。
その流れがたまらなく良い。
次へ次へと繋がっていく物語って、もう本当に好きだ。
本編も素晴らしいんだけど、リー様の親ばかに特化したスピンオフも可愛いぞ。
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