500年の営み|山中ヒコ【全1巻】
250年が過ぎて、人は人に似せたアンドロイドを作って、
さらに250年が過ぎて、人は人に似ないロボットを作った。
亡くした恋人そっくりの”3割減”のロボットと、眠り起きながら500年を過ごした青年の物語。
肺が痙攣するほど泣かされた。
読みながら嗚咽漏らしてしまった。へへ。
コールドスリープで足掛け500年を過ごした青年と、青年の想い人に似せて作られた出来損ないアンドロイドのお話です。
500年の年月が早送りで過ぎる世界観の中だからこそ、本当に大切にしたいものだけが抽出されたような作品でした。
この作品の何が好きって、どこに泣かされたかって
有機物だろうが無機物だろうが、それが模造品であろうが未完成品であろうが、
それでも人はそれを愛して守って、大切にしたくなるのだという事が、とても真正直に描かれているところ。
アンドロイドだから違うのではなく、想い人のコピーだから違うのではなく、
出会い変化をする中で育んだものを大切に描き切ってくれること。
ロボットが祈ることを学習し、美しい矛盾を知り、
アンドロイドが記録やメモリーではなく「聞こえる」声を恋しがり、
人はたったひとつの約束のために荒野を渡り。
アンドロイド作品によくある「でもお前はヒトではない(=本物ではない)」っていう切り口ではないところが最高に好きだ。
人だろうが人じゃなかろうが、生きてようが生きていまいが、それでも愛せるのだという回答が大好きだ。
主軸を後者に置いた優しい目線が素晴らしいと思う。
なんというか、作中で愛らしいロボが
人が人似のアンドロイドを作らなくなったのは醜かったからだと言っていたけれど
これはもうエスパーでしかないけれど、
結局人はそれを愛してしまうから、作れなくなったのではないかと思ってしまうよ。
あれだけひたむきに人を求められたら愛したくなってしまうし、守りたくなってしまうよ。
そして私が最高に好きなのは、
作中の愛らしいロボくんが祈りを学習したと博士に報告に行くシーンです。
それを、子どもが描いた絵を褒めるように迎える博士の反応にも涙腺壊されちゃう。
変化するのだと。
同じもの・同じプログラムであっても、何かを得ながら変わっていくのだと。
自分は量産型であると自覚しているロボくんが祈りを覚えたことが、すごく尊いことに思えたのです。
これに似た涙腺破壊ポイントは、おまけ箇所の空耳にもありました。
記憶していた声もあるだろうに、それでも新たに呼ぶ声が聞けたら良いのにとぽつりと漏らすシーン。
寂しさ! はいこれ今寂しいが萌芽したよ!!!
どう足掻いたとしても、主人公はすでに500年の年月を超えてしまった。
想い人は愚か、友人も両親も、主人公を構築した人間関係はすでに無く、
世界ですら大きく変容してしまったのに、
最後に縋るのが「それでも彼が必要だ」という一念だけであったことが本当に切なくて、尊い。