化け猫かたって候|早寝電灯【全1巻】
化け猫講談師の喜八さんと、社畜で疲れ切っていた草太くんのお話。
漫画って極論すれば白黒の線か点になると思うんですが、不思議とその中に、温度や湿度があったり色があったり手触りのようなものが感じられることがあるじゃないですか。
言葉や思考とは別に、五感と共鳴するような作品てあるじゃないですか。音なんですよ。
化け猫かたって候 には、音がある。
しかも時々、古い活動写真だったり、講談の続きのような回想が入る演出も好き……。
掛け布団の桜模様がはらはらと散って夢を繋ぐ演出画面とかもう堪らないに決まってるでしょそんなの!!!!!
この演出最高に好き…美しすぎる…情緒の天才か……?
音が聞こえる理由は、間のとり方なのかな。
講談師の化け猫の語りもそうだし、張り扇の音がぴんと響くように場面転換に使われてるのがとても心地良い。
音が聞こえるぞ!!!!!
作品の根っこにあるのは「物語」で、これが終始一貫してるところもとても好き。
誰かを救う物語は、救われなかった誰かの物語でもあると示し続けてる。
講談師である喜八さんは、自らあえて「化け猫」の講談を行いながら、何かを救い・何かは切り捨てることになる”物語”の是非を、ずっと自分に問い続けている。
けれど、あるひとつのものが持ついくつもの表情や、いくつもの特性、それらは独立してある訳ではないし、どれかが偽物である訳でもない。
上下左右・表も裏も全部ひっくるめて、そのひとつのものになる。
という感覚は、割と他の作品でも扱ってくれています。
その中で化け猫かたって候では、全員は救わない物語に確かに救われた自分があって、今度は自分のための物語に気付いて踏み出していくんですが、そのモノローグの静けさと凛とした力強さがすごく好き。
そう、モノローグやセリフがね…またいいんすよ……。
化け猫かたって候の場合は特に、化け猫のキハチさんが講談師という職業もあいまって時代がかったセリフがちらちらと混ざるのだけど、その物言いの柔らかさ!
とても好きなシーンに、散らかってひたすら酷な現実しかない部屋に戻ってひとり泣く草太くんのシーンがあります。
化け猫の喜八さんに驚いて逃げ出して、非現実から現実に一気に戻ってきてしまうシーン。
家の中にはひとり泣く草太くんがいて、ベランダには呼んでも報せてもいないのに佇んでいる喜八さんがいる。
そして喜八さんは窓をあけてと言う。
これ明らかに扉を開けるよう促す異形の姿だし、しかも絶対にあけてはいけないタイプのやつですよ。入れてはいけないやつ。
でもここでかけられる言葉は、
「何をそんなに泣いてるの いけないねえ そんな暗い部屋で泣いてちゃ」
なんだ。
この優しいセリフがめちゃくちゃ好きでさ……。
このセリフのどこが好きって、「泣くな」とは言っていないんですよ。
逆に「俺の隣で泣きな」的なものでもない。
でも何故か、暗い部屋で電気をつける余裕もなく泣いてしまうような状態を、ものすごく理解してくれているように感じてしまって、その寄り添うような言葉の選び方に鼻がつんとしてしまう。
他の作品も読んだけど、また余韻がすごく良い……物語の締め方がめちゃくちゃ上手いのでは…!?
ゆったりとしっとりと締めてくれるんですよ……。
ゆったりとした余裕がありながらずしっとくる。
こう、なんかこう、そのままエンドロールが流れてきそうな美しい終わり方がすごく好き、余韻がめちゃくちゃ良い……。
他の作品も読後感がすっごい良くて、またこの化け猫はちょっとほろ苦くて希望があってめちゃくちゃおいしい。おいしい。